第10回 南三陸町そして気仙沼市へ

前回は、防災協定というアイデアが有効かも知れないというお話しました。


これが後日、結実していくのですが、そうは言ってもその時はまだ被災地にベッドを出来るだけたくさん提供することで頭がいっぱいでした。



南三陸町へ


52日、再び東北の被災地に向けて、ベッドを満載したトラックで出発です。


今回は頼もしい相棒と一緒で、名前は佐々木君。小学校の後輩で、かつ子供が幼稚園の同級生です。

大変ありがたいことに、彼は大型免許を持っていて、トラックも運転できると言うことでお願いしました(^_^)v



53日朝、メールで突撃アポを取った新潟大学医学部の榛沢医師と、南三陸町最大の避難所ベイサイドアリーナで待ち合わせです。



ここで、段ボール製簡易ベッドを試してもらい良いと判断してもらえたら、普及に繋げたいと考えていました。



大阪から遥々約1000km。内陸を走る東北道から、沿岸の南三陸町へ進路を右に取ります。



あのテレビで良く出てくる、街全体が壊滅した南三陸町です。私たちは不安混じりで目的地までトラックを進めてい行きました。


すると、峠を越えてしばらく走ると南三陸町に。

しかし、境界を越えてしばらく走っても、全く景色は普段どおりで、特段何も変わったことがありません。



まあ、テレビの映像はごく一部で、実際はそんなに大したことは無いのかなと思い始めたその時、

なんと、ある一線から瓦礫が山積して、しかもそのまま海まで延々5km程続くではないですか!


ある場所を境に景色が一変。それが海まで延々続く。



思わず、息をのみました!




壊滅状態の街中



これは酷い!




一部の鉄筋コンクリートの建物以外、何も残っていないのです。


これが津波の威力か!



神様は一体なんて事をするんだ!



と、天を恨んだような気がします。



残念なことに南三陸町は、人口約18,000人に対し、約1,000人の死者行方不明者がでました。




南三陸町ベイサイドアリーナ避難所に到着後、榛沢医師との名刺交換もそこそこに、さっそく段ボール製簡易ベッドを組み立てて、強度や使いやすさなどを見てもらいました。



榛沢医師や医療関係者にベッドを見てもらう。


強度、安定性、使いやすさなどをチェックしてもらい、素晴らしいとお墨付きをもらいました。

本当は現物を見るまで、段ボール製のベッドなんて使い物にはならないと榛沢医師は思っていたようですが、思っていた以上に良い物だと感心してくれました。


とにかく、避難所での2次的な健康被害を防ぐため、少しでも多くの人に使ってもらうように働きかけよう、ということになりました。

気仙沼市へ


南三陸町のベイサイドアリーナへを一旦後にした私たちは気仙沼へ向かいました。仙台で活躍されている岩手さんと合流するためです。



彼女の出身地である気仙沼市も津波で大変な被害を受けて、その復興の為に尽力している素晴らしい方です。



その後、彼女ともいろいろと協働することになります。

さっそく避難所になっている気仙沼中学校で段ボールベッドのデモンストレーションです。


ふるさと気仙沼の為に尽力を惜しまない岩手さん。




何ヶ所か避難所をまわり、その夜はトラックで寝ることに。


気仙沼市内で、遅い食事を取っている時、なんとありがたい申し出を!




トラックで寝るなんて言わないでうちに来て泊っていって!



と言うではありませんか。




一旦は辞退したものの、トラックで寝ていて自分たちがエコノミークラス症候群になってはシャレにもならない、ということで一宿一飯の恩義をお受けすることになりました。


その夜は、岩手さんのご両親と楽しいお酒を頂き、床につきました。

ご両親は本当に素晴らしいお人柄で、東北に楽しい友人ができたようでした。

お陰さまで、疲れも取れてまた頑張れる。







後日談ですが、




このお世話になった宮城の岩手家に置き土産をしてきたようで連絡が入りました。


どう考えても岩手家の住人には似つかわしくない大きい○○○を発見!(@_@)



な~んと、お風呂を頂いた時、パ、パ、パンツを忘れてきたのです。




ちゃーんと後日再訪問した時に洗濯までして頂いて、受け取りました。




岩手家の皆さま、本当にお世話になりました(^O^)/






続く