とにもかくにも3月16日深夜、無事に茨城県高萩市から帰って来ました。
ほっとしてゆっくり休もうと思いましたが、この時はまだ震災発生から一週間もたっていません。
連日テレビでも、津波の映像や死者行方不明者の状況など、通常番組を中止して各局特番を組んで報道していました。
私は、往復1500kmも徹夜で走り、へとへとになりながらも無事帰還したのですが、達成感は無く、なぜか無力感ばかりを感じていまいした。
焼け石に水やん!
あかんわ、こんなんじゃ!
そう、被災地の被害はそんなものではなく、空前の壊滅的被害でした。
1週間を過ぎようとしているのに、被災地では被害の全容も不明のままで、死者行方不明者の捜索もはかどっていません。
各地の避難所にも支援物資も少しづつ届き始めているとはいえ、それも一部の避難所だけであり、そもそも把握できていない避難所もたくさんあって、まだまだ支援もまばらな状態でした。
私は、四六時中頭から離れず、夜も寝れず、家族が話しかけてきても、うわのそらという状態がしばらく続きました。
そんな中、避難所での様子がテレビで流れました。
高齢者を中心に、体温が極度に低下してどんどん衰弱していく、いわゆる低体温症になっている人が続出していたのです。
せっかく助かったのに、避難所で寒さの為に沢山の方が凍死している!
意外と思いますが、実は避難所にいる人は幸運な方達なのです。
早めに逃げた人か、津波に巻き込まれたが偶然何かに引っ掛かり助かったとか。
不運な方は津波で亡くなってますから!
なのにその避難所で、幸運なはずの人が沢山亡くなっている。
そら、あかんやろ!ヽ(`Д´)ノ
それなら段ボールで寝床を作れば暖かくて、低体温症で亡くなる人が減るやん!
そう考えました。
段ボールは、空気の層でできているから暖かく、安価で加工もしやすい素材なのです。
とにかく、試作品をつくろう。
思いついたら即実行です。
作りは簡単!
段ボールを10センチx2000センチに短冊状に切って、それをノリで10枚貼り合わせ桁状にする。これを5本並べて段ボールの板を乗せて出来上がり。
あとは、パーテーションで囲えばプライバシーもある程度は守れる。
まあまあえー感じや!
多少の寒さはしのげるはずや。これで被災地に持っていけるぞ。
そう確信しました。
ところが、気持ちは高ぶってきたのですが、肝心なことをすっかり忘れていたことに気が付きました。
はて?どこに持っていけばいいのかな?
東北には縁もゆかりもないし。。。。
行く先がまったく判らないのです。
私は悩み果てました。
しかし、ある時良いアイデアが閃き、この悩みはすぐに解決しました。
そっ、そうだ!ツイッターで拡散希望して流してみようヽ(`Д´)ノ
こんな感じです。
しばらくすると、嬉しいことに沢山のフォローワーの皆さんが、熱心に応援してくれてつぶやきを拡散。
ついに現地と繋がりました。
現地で、緊急時には低体温症の予防に段ボールがいいと呼びかけていたドクターで、石巻赤十字病院に応援に来ていた、札幌の松本先生でした。
やったー!ヽ(`Д´)ノ
つながった!これはすごいぞ!
松本先生は、とりあえずほしいと仰ってくれたのでとにかく4トントラック満載でベッド200床を作って持って行くことにしました。
後は、200床を作るだけです。
私は、うちの会社の従業員に呼びかけました。
とにかく皆で協力してくれないか?
これは被災者の命を救うかもしれない。
その日から3日間、たくさんの社員が就業後ボランティアでベッドを作ってくれました。それも手作りで。
本当に嬉しいことです。自慢の社員たちです。
しかし、ここにも落とし穴が!
実際作ってみると、200床を作るのに大変な手間と時間がかかってしまったのです。
15人x4時間x3日間=180時間/人
これでは、大量に要望されれば対応不可能です。
悩みました(´_`。)
うちの会社には立派な生産機械があるのに手作りなんて非効率。
要は、ベッドの設計に大量生産という思想がまったくなかったのです。
これではいけないと急遽、発想を転換して機械で生産できるプロトタイプ2を設計し、出発直前に完成。
いろいろな検証する時間も無く、とりあえずサンプルをトラックに積み込んで石巻に向けて出発しました。
現在の形に近づいてきたプロトタイプ2
つづく