4月10日お昼過ぎ、長い長い距離を走って大阪到着。
今回の旅では、避難所には医学的に言っても簡易ベッドが必要だということが解り、私は今までにも増してベッドの活動を進めないといけないと、ますます使命感に燃えて来ました
また、東北地方のメジャー新聞である河北新報にも、名取市での記事が載って嬉しい気持ちでいっぱいになりました。↓
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110411_43.htm
酷い避難所の生活環境
震災から約一カ月経ち、医療の現場も急性期から慢性疾患の対策に軸足がうつりつつありました。
ただ石巻の避難所は、学校の体育館など依然として1000人を超える大変高い人口密度での生活を余儀なくされています。
国連難民弁務官事務所の「緊急対応ハンドブック」によると、避難所では一人当たりのスペースは3.5平米が望ましいとあるのですが、とてもクリアできていない状態でした。
それにしても、ここは大規模に被災したとは言えアフリカの難民キャンプではなく、現代の日本です。
難民の生活基準すら下回っているってどうなんですか!((((((ノ゚⊿゚)ノ
石巻赤十字病院の植田医師は、避難所を検診して周っていましたが、長期の避難生活で慢性疾患の危険性が高まっていると危惧していました。
その植田医師の要請に応え、自衛隊の物資拠点に段ボール製簡易ベッドを搬入することになりました。
今回は、当社Jパックス㈱の社員が同行です。
彼は元航空自衛隊の士官で、以前にも中越沖地震の時、救援活動を経験したそうです。
そしてその彼は、なんと元輸送用大型ヘリのパイロット!ヽ(`Д´)ノ
心強いのなんのって!
こんな頼もしい相棒はいません。
しかぁーーし!!
そんなに現実は甘くない!(´_`。)
なんと彼は、国内最大の輸送ヘリは操縦していましたが、
4トントラックは運転できないと言うのです!( ̄□ ̄;)
また一人で往復2000km運転か!((>д<)) しゃーないなあ!
難しい支援の在り方
話は変わって、
今回のような大災害が起きると、日本中いや世界中から支援のてが差し伸べられますが、実は結構むつかしいミスマッチが、たびたび起こります。
今回もそうでした。
前回に続き、
幼稚園関係の皆さんが特に子供たちに、と言って沢山のおもちゃや文房具を集めてくれて、現地で配ることになりました。
自衛隊に段ボール製簡易ベッドを降ろした後、NPOの方の誘導で石巻市街のある小学校へ。
もちろんアポ無しですが、避難している子供たちに、と申し出たら快く子供たちを校内放送で集めてくれました。
沢山の子供たちは、大変喜んでくれてこちらも嬉しくなりました。
しかし、それだけでは終わらなかったのです。
まず、被災した大人たちの中に、
こちらを何し来たのだ!っと言う目で睨みつける人
が何人もいました
。おそらく、大阪ナンバーのトラックで、被災した自分たちに、
支援という建前で配ってやっている。
どうせ俺達は一文無しだ、みたいな雰囲気がぷんぷんしていました。
また、ある避難所では責任者が外出していたのですが、職員にお願いをして皆さんで分けてと、おもちゃや文具をおいてきました。
現場を離れ大阪への走行中、帰ってきた責任者からNPOに電話があり、
「こんなものは迷惑だから取りに来い。でないと着払いで送り返すぞ!」
と罵声を浴びせられたそうです。
私は、それなら捨ててくれと伝えましたが、
NPOの方が市に掛けあって他の避難所に持って行って、無事に他の避難所の子供たちに配ることができたそうです。
正直、考えさせられました。確かに、喜んでもらえる様にと思っての寄贈でしたが、彼らにもプライドがあるのです。
決して物乞いではない
という。
わかるような気もしました。
支援という言葉の真の意味は!
自己満足の為にやっているのではないか?
相手の事情を本当に理解できるのだろうか?
などと、自分に問いかけながら大阪に向けて走っていました。
続く
国内最大の輸送ヘリ!