10回目の東北入り
6月16日夕方、早くも10回目の東北へ向けて出発です。今回も当社Jパックスの社員と同行して、乗用車で岩手県、宮城県を目指しました。
先ずは、以前提供した段ボール製簡易ベッドの使用状況の確認です。
石巻市の遊楽館という福祉避難所では、寝たきりの高齢者や障害者など、介護が必要な方120名程が避難生活を送っていて、そこに初期型の段ボール製簡易ベッドを持って行っていました。
被災地で献身的な支援活動を行っていた、理学療法士の横瀬さんにいろいろお話を聞きました。
遊楽館では、従来から販売されていた医療用の災害時備蓄段ボールベッドも使われていましたが、仕様が使い難いらしく、私の持って行ったベッドと組み合わせて使っています。
震災直後はベッドもなく、皆さん床で生活をしていましたが、介護する方の身体的負担は想像を以上で、要援護者1人をトイレに連れていくのに大人3人がかりで、中には腕を脱臼してしまうボランティアの方もいたそうです。
ですから、福祉避難所では介護する側の意見としても、どうしてもベッド必要だったそうです。
その後、同じ石巻市の、実際に津波が到達した地域の避難所に向かいました。
石巻市立湊小学校や渡波小学校では、数メートルの津波が到来、1階はほぼ壊滅していますので、2階以上の教室で避難生活をしています。
大潮の日には地盤沈下した地域は再び浸水する
実はこの辺りは、ドクターの検診でも避難者の実に45%の方に血栓が認められた地域です。
特に避難所環境が劣悪で、たとえば当初は土足禁止にもなっていませんでしたので、避難所内にヘドロが上がりこみ、それが乾燥して吸い込んでしまうのです。
また避難所の周囲は、腐った魚とヘドロが混ざり、耐えがたい臭いが漂っています。
さらに大潮の日には、1メートルほど地盤沈下した地域に海水が流れ込み、膝辺りまで浸水します。これでは公衆衛生上も大変問題のある状況なのです。
そんな環境なうえ、避難所内では人口密度も高く、雑魚寝だったので、ストレスは頂点に達し、血栓症の高い陽性率に繋がったと予想できました。
初期の段ボール製簡易ベッド 床から一段高くなり衛生的
現在の仕様の段ボール製簡易ベッドはさらに高い
粉塵の吸引による呼吸器疾患を避けるためにも段ボール製簡易ベッドは有効でした。
大船渡市へ
、
石巻市を後にして、次に私達は岩手県大船渡市に向かいました。
大船渡市は人口40,000人の沿岸の町ですが、5月末の時点で、死者行方不明者約450名、避難者数は1,300人の被害です。
やはり破壊しつくされた大船渡市沿岸部
大船渡市の避難所リアスホールで、山形市の東北カートンが生産してくれた200床のベッドの納入を立会いました。
荷降ろしをする東北カートンの社員
リアスホールには沢山の方が避難していましたが、比較的新しい建物で、内部の生活スペースは清潔に保たれていました。
窓口になってくれたのは、理学療法士の金野先生。
金野先生とはツイッターを通じて繋がったのですが、大船渡市ではベッドの導入が大変スムースに運び、数少ない成功例になった程です。
その理由は、金野先生は地元と被災者と以前から信頼関係を結ばれていて、金野先生の勧めならと、ベッドの利用を次々に受け入れてくれたのでした。
リアス会館の中の生活スペース
足の悪いおばあさんと完成したベッド
金野先生は、すでに仮設住宅に引越ししていった方の為にも、段ボール製簡易ベッドの利用を勧めます。
福祉機器と組み合わせることで立ち上がりも楽に
他の被災地では、なかなか受け入れてくれなかった事が多い中、大船渡市の場合は金野先生のお陰で、大変上手くいった事例になりました。
プロの仕事
私は、たびたび被災地入りしているうちに、ある事に気がつきました。
現地で活躍している、さまざまなプロの仕事ぶりです。
自衛隊や消防、医療関係者、自治体関係者、電気水道ガス工事会社、土木建築会社、などなどです。また落語家や大道芸人など慰問もしていました。
自治体の災害対策本部で作戦を練る
震災発生後2ヶ月経たないうちに新しい電柱が立っている
赤十字やDMATなど災害医療チーム
自衛隊のヘリと通信隊
彼らは、持てる技術やノウハウを発揮して被災地の為に、有効な活動を展開していました。
もちろん大多数は、仕事として給料をもらってやっているわけですが、その道ならではの技術を活かしたボランティアも、もちろん沢山いました。
皆一様に士気が高く、報酬の為だけではなく、誇りをもって被災者の為になんとか役立ちたい、と言う思いが非常に強かったのだと思います。
もちろん、人手を補うという意味でボランティアのニーズは大変大きいのですが、中には炊き出しボランティアとして被災地入りして、勢い余って酒盛りを始めたり、自ら明確な目的もなく被災地入りして、食料出せとか泊る場所を提供してくれなど、いったい何しに来たの?という人もいたようです。
しかし、
生業で被災地に貢献する。
そこにはごくありふれた日常があったわけですから、どんな職業でも構いません。
私は、生業である段ボールを通じた支援活動を始める事ができて、本当に良かったと思います。
そういう輪を日本中に出来たらいいな、と思いました。
続く