イタリア北部地震の被災地へ
2012年5月20日と29日にイタリア北部のボローニャ州モデナ県近郊のフィナーレエミリアを中心に相次いで、マグネチュード6クラスの直下型地震が発生。
死者30名負傷者350名を数え現在のところ15,000人が避難生活を強いられています。
そこで、昨年の東日本大震災以来、簡易ベッドの活動で協働している新潟大学医学部講師の榛沢和彦医師は、イタリア北部地震の被災地入りすることになりました。
主な目的は、長期非難を強いられることで下肢に血栓ができるいわゆるエコノミークラス症候群の発症の実態と、ヨーロッパに於ける避難所環境の調査です。
欧米をはじめ諸外国では、避難所には必ず簡易ベッドが導入されて、血栓症を予防することが常識であると言うことが判っているのですが、実際に現地に入りそれを確かめたいと考えたわけです。
その話を榛沢医師から聞き、私もぜひ行ってこの目で確かめたいと思いました。我が国の避難所環境の改善にきっと役立つと思ったからです。
とはいっても、日本から遥か遠いヨーロッパ。イタリア語はおろか英語もままなりません。何より、費用も高くつきます。悩みに悩みましたがやっぱりこんなチャンスはなかなか無いのでイタリア行きを自分なりに模索していました。
そもそも、今回の榛沢医師の計画は、京都大学防災研究所からの委託研究事業で、渡航費用も出してくれるそうなのですが、そんな中、私を研究支援員として随行できないかどうか確認してくれたところ、防災研究所からOKをいただきました。
なんと、国費で海外出張できることになったのです。
これは気合が入ります。何せ初のヨーロッパ。しかも昨年来20回近く東日本大震災の被災地に行ったのですが、他国の被災地を訪れて避難所環境の国際比較ができるのです。ベッドの活動にも弾みがつきます。
と思っていたのですが、榛沢医師はとんでもないことを言い出したのです。
”水谷さん、だれか現地に知り合いはいないかな?”
”はあっ?ひょっとして先生、あてが無いのにイタリア行くの決めたのですか?”
”大使館や医師仲間にお願いしたんだけどなかなか繋がらないんだよね!”
”そうでしたか!しかしイタリアですよねえ!”
そんなことで、現地に繋がる人を探すことになりました。
そこでイタリアファッションのお仕事をされている大学の早瀬先輩に相談したところ、お嬢様がイタリア留学中ということで通訳を引き受けて頂き、またイタリアのスローフード協会の副会長をしていてイタリアに精通してる石田先輩を紹介して頂きました。
石田先輩は、さっそく現地に連絡を取ってこちらの趣旨を説明して協力者を探したところ、モデナのスローフード協会役員を通じて要請したところ、行政や医師団がウエルカムだと言う連絡が来ました。
今回の被災地入りが実現したのは、早瀬先輩と石田先輩のお蔭です。
これで、準備万端。
できるだけ、現地の被災者に対して医療支援をしようということで、検診用のポータブルエコーや血栓症を予防する医療用の弾力性ストッキングも2~300人分、そして子供達にとお菓子などのお土産をスーツケースにいっぱい詰め込みました。
そして7月1日朝、イタリアに向けていざ出発!
初めての欧州へ 長旅のスタートです
関西空港から成田、フランクフルトを経由して約20時間後、やっとボローニャ空港に降り立ちました。現地では、検査技師の石川さんと合流。
7月1日遅くにイタリアボローニャ空港に到着
活動開始
その日はホテルで泊り、7月2日朝9時にロビーで通訳の早瀬さんとスローフード協会のアンナラウラさんと待ち合わせです。
スローフード協会のアンナラウラさんと早瀬さん
自己紹介もそこそこに、一行は徒歩でモデナ県役所に向かいました。
役所では、ペトラジッヒ保険局長に面会し、避難所での健康リスクを説明。
血栓症の検診を通じて医療支援をしたいと申し出ましたが、ペトラジッヒ局長はさっそくフィナーレエミリアの避難所にいるスティーパ教授に連絡を取ってくれました。
モデナ県役所を後にして、タクシーで同県のフィナーレエミリアの避難所に向かいしました。
フィナーレエミリアの街にはレンガ造りが多く地震で建物が完全に崩壊
現地に到着すると、イタリア赤十字が駐在して医療活動や避難所支援をしていて、役所で紹介を頂いたスティーパ教授、赤十字のジョゼッペさんにお会いしました。
榛沢先生は、避難所での血栓症のリスクや東日本大震災での検診データを説明して、エコノミークラス症候群の検診が必要なことを理解してもらいました。
ただ残念ながら、イタリア国内の医師法の制限があり日本の資格では検診はできないと言うことでしたので、さっそく避難所内を見学させてもらうことになりました。
続く