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2012.03.06

第1回 平成23年3月11日東日本大震災発生!

もうすぐあの震災から1年ですね!


私にとっても思ってもみない大変な1年になりましたが、


ここで私なりにこの1年を振り返ってみることにしました。



平成23年3月11日14時46分。東日本大震災発生!

3月11日の震災当日、私はあるセミナーに参加するために東京に出張してました。滞在時間はたったの4時間の日帰りの予定。



なのになんと!その4時間の間に。。。。(ノ゚ο゚)ノ


そう、あの地震が来たのです!


最初はあれっ!地震かな?って感じでしたが、だんだん横揺れが激しくなり∑(゚Д゚)しかもかなり長い時間揺れていました。それが2回あったと記憶しています。


窓の外には建設中のスカイツリーが!大丈夫か?



そしてその時、私はどういう行動をとったのでしょうか?


机の下にもぐった?


それとも、部屋のドアを開け放って人々を避難誘導した?


いいえ、実際は全く違います。




セミナー会場とは言え、大変狭い中小企業の会議室。約30名ほどの方が講義を受けていました。




そこで私は、何と!荷物をさっさと片付けて、いつでも自分だけが逃げ出せるようにタンバイしていたのです!∑(゚Д゚)



今思うと、なんと恥ずかしいことか!

こんな緊急事態の時こそ、自らの安全もさることながら人々を避難誘導しなければならないのに!


いい若い者が(若くもないか(・・;))自分さえ逃れればと必死の形相で。。。。

正直、自分がすごく情けなくなりました。




人間はいざという時本性が現れますね!ですが、これがその後の名誉挽回の行動に移るきっかけになりました。



その夜は、知人のうちに泊めてもらったのですが、2時間おきの大きい余震で全く眠れず、朝までレビをつけていました。


そうテレビでは、あの恐ろしい津波の映像が何回も何回も流れていました。




それを見ながら私は、

”これは、えらいことになった。東北が潰れる!どうしよう?”


”なんとかしなければ!一体自分に何ができるだろう?”


と自問自答。東北には縁もゆかりもない私ですが、どうしても他人事には思えなかったのです。それからしばらく、そのことが頭を離れませんでした。





大地震を東京で体験した私は、翌日奇跡的に復旧した新幹線の車内で、ぼーっと窓の外を見ながら考え込んでいました。


3月12日、新幹線の中で私のツイッターを引用します。


阪神大震災の直後、神戸に向かう高速道路で並走した自衛隊、消防隊、自治体の救援隊、土木会社の重機の隊列を見て運転しながら頑張ってくれよと心の中で祈った。不幸は繰り返されたが日本国民の真価が問われる時がきた。なんとか皆の力で乗り越えなければならない。出来る事は何か!

posted at 13:17:04

少なくとも今回の地震は決して他人事では無く全国民に果たされた試練だ。なんとか力を合わせたい。そして皆で乗り越えたい。

posted at 10:46:06

この度、被災された方にお見舞いと亡くなられた方のご冥福をお祈りします。全国民が今こそ一致団結してこの国難を乗り越えなければならない。自分に何が出来るだろうか真剣に考えよう。

posted at 10:43:40

などとつぶやきながら、なぜか悔しくて悔しくて涙が溢れ出るのを必死で堪えてたような気がします。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

そんなこんなでいつの間にか新大阪駅に着いていました。




その頃被災地では、自衛隊などの必死の救命活動が続いていまいしたが津波の破壊力は強力で、瓦礫に阻まれなかなか作業ははかどらず、行方不明者や亡くなった方の数さえまったく把握できていませんでした。



そんな時、松下政経塾の卒業生でもある友人に、なにかボランティアがあれば教えてほしい。物資輸送でも瓦礫撤去でも何でもするからとお願していましたがすぐに連絡が入ってきました。


”茨城県高萩市が震災後もマスコミや政府からも素通りされて、ライフラインが寸断されたまま兵糧攻めにあっている。もはや関東地方は物資の奪い合いで調達できないので関西から支援をしてくれないか”


と市長から要請があったそうで手伝ってほしいと連絡がありました。

もちろん待ってましたとばかり私は二つ返事で、


”行くよ!ヽ(`Д´)ノ”


地震発生後3日後の3月14日のことでした。



15日夕方、会社の4トントラックで待ち合わせのとある公園に行くと、たった半日で沢山の物資が集まっていました。水、米、ラーメン、毛布、衛生用品、粉ミルクなどなど約10トンほどo(^-^)o

”皆さんの熱い思いを運ぶぞ”

そういう思いで気持ちが引き締まりました。


水谷嘉浩のブログ


いよいよ夜8時、私の4トントラックを筆頭に計5台のトラックが物資を満載にして、一個中隊を組んで一路茨城県に向けて大阪を出発。

順調に走れば翌日の朝には現地に物資を届けることができる!と意気揚々と走り始めました。。。。。がしかし!


そうは簡単に問屋は卸しません。

なんと、行く手を阻む大きな問題が!Σ(゚д゚;)


そう、福島第一原発1号機と3号機の爆発直後で、大量の放射能が辺り一面にもくもく撒き散らしていて、さらに3回目の爆発があるぞと言われてた時でした。

福島原発から高萩市は直線距離で60km程。放射能の実態もよく判らず、まさに


”自ら飛んで火に入って栗を拾う”


みたいな、キツーい状態になっていました。((((((ノ゚⊿゚)ノ



続く
















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