東北へ出発!
4月1日夜7時、いよいよ段ボール製簡易ベッドを満載して、石巻赤十字病院に向けて出発です(^O^)/
その日は、一日ばたばたして仮眠できず、結局徹夜で運転することになりましたが”やるぞー!”という感じで気分は高揚していましたヽ(`Д´)ノ
石巻までの行程は、名神高速→北陸自動車道→磐越自動車道→東北自動車道→三陸道の約930km。
途中、金沢で友人をピックアップして、北陸道を快走!
トラックからの眺めは非常に良くて結構楽ちんです(^~^)
しかし、それにしても北陸道はめちゃくちゃ長い!
深夜に走ると、トンネルばかりでだんだん飽きてきます(iДi)
そして新潟で2回目の休憩と給油を終えて磐越道へ!
福島県に入ると、だんだん雪景色になってきました。猪苗代湖を右に見ながら、左は会津磐梯山の勇壮な雪景色。
ここまでは順調に来ましたがそろそろ、磐越道の路面も傷みはじめてきました。
そして東北道に入るころには、地割れや隆起など路面も激しく荒れてきて、トラックはそのたびに大きくジャンプしながらの走行です((((((ノ゚⊿゚)ノ
そして仙台からようやく三陸道に。
三陸道は、救援の自衛隊や物資輸送のトラックなどで大渋滞しています。
鉄道も流されているので、沿岸部への足は車しかないのです。
そして眠い目をこすりながら、4月2日11時30分ようやく石巻赤十字病院到着!
出発からは16時間を過ぎていました。
石巻赤十字病院到着。このころは野外にも仮設診療所がありました。
そこで、ツイッターでやり取りしていた松本先生と初めてお会いして、挨拶もそこそこに、遊楽館という福祉避難所に移動してベッド200床を無事に受け渡ししました。
もちろん松本先生は、よく来てくれたと大変喜んでくれました(^O^)/
赤十字病院に札幌から応援に来られた松本医師。
赤十字の職員と打ち合わせ
そして荷降ろしの後、プロトタイプ2を見てもらい検証してもらいましたが、今回持ち込んだベッドよりもプロトタイプ2の方が本命だということが判りました。
プロトタイプ1は、とりあえず寒さから身を守り、低体温症が防げればいい位にしか思ってませんでしたから(・ω・)/、あわてて設計した分使ってもらう人の事をあまり考えていなかったのです。
若干、失敗したな!って心の中で思いましたが、せっかく遠いところから持って来てくれたので。。。。みたいな感じで受け取って頂きました(・・;)
名取市へ
そして、次の目的地、名取市役所を目指し、遊楽館を後にしました。
途中、津波の被害が酷い海沿いに出て様子を見ました。
石巻の街は本当に目を疑うような壊滅状態で、思わず絶句です。
しかも、破壊された街には写真では判らない事が!
そう、臭いです!(>_<)
ヘドロの臭いと魚の腐った臭いが混ざり、それが街中充満していて本当に耐えがたい状態でした(>_<)
これでは、衛生環境も劣悪で、とても人が生活する環境ではありません。
私は苦悩した顔のまま、先を急ぎました。
名取市役所では、NPOの方とツイッターを通して知り合いになり、お会いすることになっていて、その方通じて災害対策本部の担当者ともやり取りが始まりました。
その際、たまたま時間の空いた佐々木市長に招かれ、市長室へ!
そこでプロトタイプ2を体験してもらい、感想をお聞きしたところ、高齢者に優しいように高さを50cmから35cmに変更。これで高齢者が立ち上がりやすくなりました。
この、高齢者が動きやすいようにと言うコンセプトが後に、大いに役に立つことになります。
高齢者は、長い避難生活で生活不活発病になり寝たきりになることが多いのですが、簡易ベッドはそれを防いでくれるのです。
佐々木市長は、本当に素晴らしい観点をお持ちだと感心しました!
ちなみに、市長は地震発生からこの日で3週間まったく家に帰っていなくて、市長室の床で寝ていたそうです。
最後に、、市役所前の名取市文化会館の避難所へ。
こちらの避難所では、まだパーテーションもなく、風が通る冷たい床で避難生活をしていました。沢山の皆さんが屋内なのに防寒具を着ているのです。
そこでの生活環境はとても人間らしいものではありませんでした。
私は少しでも楽になってもらいたい一心で、次の週末段ボールベッドを持ってきますと簡単に約束をして、大阪に向けて被災地を後にしました( ゚ ▽ ゚ 😉
と言っても、帰りもまた930kmあるんですが!Σ(゚д゚;)
続く