気仙沼から無事帰ってきました。会社に立ち寄ると、こんなのもが!(^O^)/
そういえば毎週東北に行って、社員はみんな心配してくれていたのだなと気づきました。嬉しい事です。
神戸大学のゼミで講演
さて、東北への支援活動も5回を数え、マスコミにも取り上げられるようになってきて、いろいろ周りからも応援の声も頂くようになってきました。
そのな時、友人から神戸大学経営学部金井ゼミで、”有事のリーダーシップ”という題で講演してくれないかと依頼があり、若い人達に現地の話や自分の考えなどを聞いてもらうチャンスだと思い、お受けしました。
若い人に伝えたい事
悲しい事に大災害が起こり、多くの方が亡くなりました。また助かった人も、体や心が傷つきました。想像もしない理不尽な厄災が人々の生活を襲ったのです。
万事無事である事はは当たり前ではなく実は有難い事。
だからこそ、苦しんでいる人に思いを寄せて、痛みを分かち合う。
なぜならば、明日は我が身なのだから。
そしてそのために
・自分こそがと言う使命感
・組織の命運は自分にかかっているという自負
・自分の損得では動かない公の心
・指示命令待ちではなく率先垂範
今こそ、自分の立身出世だけを夢見るのではなく、社会に対していかに尽くしていくか。そこを考えてもらいたいと思ったのです。
講演後のディスカッションでは、学生達から”有事のリーダーシップ”についていろいろな意見が出されました。
学生の意見をまとめると、観察力、決断力、行動力、この3つが大切だという結論でした。
ふむふむ、なるほど(=⌒▽⌒=)
そうですね。
しかし、それは平時のリーダーシップの条件かもしれません。
有事の場合はそれにスピードを付け加えてほしいと言いました。
即行動して、修正しながら諦めず進む。
これが有事には必要なのではないでしょうか
↓ 後日まとめた”有事のリーダーシップ論”です。良かったら読んでみてください。
http://www2.shizuokanet.ne.jp/sabu/kanaizemirepo29.html
5月10日、金井教授とゼミの様子
活動を始めた動機
世代を超えた言葉
うちは3世代同居だったのですが、幼いころ祖父母からいつもこう言われていました。
・世の為人の為に頑張りなさい!
・自分さえ良ければいいという考えはいけない!
・徳を積め!(それも自分の為ではなく、孫末代の為に)
この言葉は、知らないうちに体に染みついていたのでしょうか?
ずっと忘れていたのですが、30歳を超えて子供を持って自然と思い出したのです。もしそうであるならば、これが本当の動機なのかもしれません。
そしてこの言葉を子や孫、そして社員に伝えるためにも、やるしかなかったのです。
ある覚悟
上記のような前ふりがあった上で、2回目の東北への道中、ある覚悟を決めました。
東京で、地震を体験しその夜、悲惨な津波の映像をライブで見た。東北がえらいことになった。日本が大変な事になった。どうしよう!なんとかしなければ。
そう考えて始めた支援活動。
今は40歳。10年後は無理だ。体力的に今が最後のチャンスでもある
しかし、お祭り騒ぎで被災地に行くような無謀且つ軽率な行動なのではないか?
一回行って皆に褒められて支援した気になって、れで終わりなのか?
いや、そうではない。自分は求められる以上何回でも行く
そうは言っても、疲労がたまって交通事故で死ぬかもしれないじゃないか。
いや、人は死期は自分では決められないはずだ
もしそうであるならば後悔はしたくない。俺は行く
真夜中の東北に向かう高速道路。トラックの運転席で、ヘッドライトを見つめながら、自問自答をして覚悟を決めたのでした。
今は自分でも、もうあのような無茶な行動は無理だと思うし良くやったなと感心します(^_^)vあの時は、何かに憑りつかれていたのかもしれません。
しかしこの活動が、世の中の為になるように頑張るのが、自分に割り当てられた役目であると確信していましたヽ(`Д´)ノ
最後に
”敷島の大和心の雄々しさは事あるときぞ現れにける”
明治天皇御製。 日本人の本質かも知れません。そうありたいものです。
続く