新潟県の2次避難所へ
5月19日から3日間、新潟大学医学部講師の榛沢医師と新潟県から東北3県にかけて同行です。
今回はトラックではなく飛行機で新潟に向かいました。楽チン楽チン!(*^.^*)
榛沢医師は、平成16年の中越地震の際、軽自動車などで避難をされていた方がエコノミークラス症候群を発症し多数が亡くなって以来、その研究に取り組んでこられました。
震災以来2ヶ月が経ちましたが、新潟県は主に福島県のから放射能を逃れて来た8,000人以上の避難者を、受け入れていました。
先ずは、新潟市や長岡市や三条市に働きかけ、避難所に段ボール製簡易ベッドを導入するようにお願いです。
東北沿岸部に比べて圧倒的に人口密度は低いものの、やはり雑魚寝状態
セッツカートン新潟工場の社員と共に避難所でデモンストレーションを行い、職員に導入をお願いしましたが、良い物だと理解はしてくれたものの、やっぱり導入は限定的でした。
しかしこの活動が実ったのか、後の平成24年1月に新潟市と、政令指定都市としては初めての”災害時段ボール製簡易ベッドの供給に関する防災協定”の締結に繋がります。
新潟地方は、地震も多くまた大雨などで避難所の開設がたびたびあります。新潟市では次の災害からは段ボール製簡易ベッドの支援要請が来る仕組みができました。
セッツカートン新潟工場の方と別れて、いくつかのサンプルを積んだ榛沢医師のクルマで東北を目指します。
上手くいったあづま体育館
まずは福島市にある、あづま総合運動場の体育館です。ここには福島県沿岸部から避難してきた方々が600人以上いました。
ガイガーカウンターでは0,4マイクロシーベルトと高い値の福島市内
ここで、福島県立医科大学医学部講師の高瀬医師、福島県の職員で木村さん、地元の保健師さんに集まってもらいデモを行います。
高瀬医師は、福島県下のエコノミークラス症候群医療チームのリーダーで、長期の避難生活でエコノミークラス症候群の発症リスクが高まっている事を説明して導入を訴えました。
説明を聞き、リスクを理解した県職員の木村さんは、なんと公務員としては珍しく(と言ったら怒られますが)即決してくれました。
全員分の段ボールベッドを提供してほしい!
承知しました。任せてください!ヽ(`Д´)ノ
私は、調達の裏付けの確認もせずにその場で、6月上旬の搬入を約束しました。
でもどうしよう。一度に600床は今までにない規模です。
大英断!
その頃セッツカートンの本社内では、ベッドの活動している西川常務に対して冷ややかな視線が浴びせていました。
なにせ東北の被害は甚大で、支援と言ってもどこまで続けるのかよくわからない状況でしたので、民間企業としてはそう簡単に会社のお金を使う事に異を唱える役員も沢山いたのです。
西川君。いつまでそんな事をしているのかね?
そこまで支援して何になるのかね?
みたいな、感じです。
しかし、それも当然です。1年間社員が汗水を流して稼いだ利益です。大事にしないといけないからです。
それでも西川常務は諦めず役員会で説得を続けました。そしてメディアにも取り上げられることが多くなった事から、だんだん受け入れられるようになって来たのです。
また同じ頃、セッツカートンの役員会では、同業他社に倣い義援金をしようと言う話を議論していました。
しかし、そこである提案が出されます。
多額の義援金も大切だが、使われ方の良く分からない義援金よりも段ボールベッドを提供する資金に回そう。
それを岩本社長が決定したのです。
これで、本格的に段ボール製簡易ベッドの支援活動を、セッツカートンとして取り組む事が決定したのです。
また業界最大手であり親会社でもあるレンゴーにも働きかけて、福島矢吹工場で600床の生産を担当してもらう事が実現しました。
数ある避難所の中でもトップクラスの待遇のあづま避難所だがやはり雑魚寝
避難者の中には足腰の弱っている方も多い
この頃には、提供数は1000床近くになっていましたが、一気に600床上乗せです。
私は嬉しくなりました(^O^)/
続く