私達は6月上旬に600床の納入を約束して、意気揚々とあづま避難所を後にしました。
次に榛沢医師と向かったのは、宮城県多賀城市にある体育館。
ある被災者からの依頼
実は、以前に河北新報と言う東北の有力紙に段ボール製簡易ベッドの記事が載ったのを見た柴崎さんという女性から、記者を通じて私に連絡がありました。
”年老いた母が、長期の避難所暮らしで体がだんだん言う事がきかなくなり大変辛い。
また介護している家族の身体的負担も限界に来ていて、なんとか助けてほしい。段ボールベッドを使いたい”
と言う内容でした。
私は、
”わかりました。任せてくださいヽ(`Д´)ノ”
”必ずベッドを持っていくので、待っていて下さい”
と返事をすると、柴崎さんは
”ありがとうございます”
と言うなり、携帯電話の向こうで咽び泣き始めました
私は驚きましたがよくよく考えると、
私たちは、被災者というたった一つの言葉で捉えますが、あんなに大勢の方の一人ひとりの生活が突然奪われたのです。
暖かい我が家、楽しい団欒、家族の繋がり。そのすべてを奪って行った津波。
どれだけ悲しいかっただろうか?
どれだけ辛かっただろうか?
柴崎さんの事を想うと、その事を改めて感じずにはいられませんでした。
私は、
”そんな被災者の痛みを段ボール製簡易ベッドで少しでも和らげる事ができるのなら、もっともっと拡げて行きたい”
と強く心に誓ったのです。
無事に柴崎さんと落ち合う事ができた私達は、さっそくベッドを組み立てて、試してもらいました。
そして、管理者の方にも体験してもらい、榛沢医師の医学的な効果も説明してこの体育館に導入してほしいと訴えました。
もちろん全員分、無償です!
しかし答えは、ノー!
柴崎さんに対しても、”勝手にそんな事をして貰っては困る!”
と、言うではありませんか。
私は、本当に悲しくなりました。
しかし、目の前の困っている人を見捨てるわけにはいきませんので、なんとか柴崎さんが個人的に持ち込んだという事にして、やっと使ってもらう事ができました。
管理者には事情がある事もわかるし、仕組みがない事もわかる。
しかし、
”困っている人の為に一肌脱ぐと言う事”
は出来ないものでしょうか?。
以前にも書きましたが、
”有事の際は公平性の追求よりも、優先順に素早く決断する必要”
があると思います。
なぜなら、
”余計な被害の拡大”
が懸念されるからです。
ご存じの通り、災害医療の世界では、トリアージが実践されるのが当たり前です。
トリアージとは?http://www.sunkohkai.or.jp/Kohga/QandAtopics/topics0012.htm
こんなことを聞きました。
ある避難所に101人の避難者がいるとします。そこに食料が100人分だけ届いたら、その食料は配られないというのです。
子供もいます。老人もいます。女性もいます。若者もいます。
優先順位はどうなりますか?
簡単な事です。弱者が優先です。
しかし、職員はクレームが怖くて、全員分がそろうまで結局配らないのです。
行き過ぎた個人主義や権利主義で、当然のようにサービスを要求する。その為廻り回って、本当に必要な人がサービスを受けられない。
本当にこれでいいのでしょうか?
これは被災地だけの話しではなく、日常の中にも少なからずこういう場面があると思います。
”今さえ、そして自分さえよければいい”
これではいけない。
そろそろ一人ひとりの日本人が、考え直す時が来ていると思います。
再び訪れた東松島市
多賀城市を後にした榛沢医師と私は、東松島市の避難所に向かいました。
以前導入してから約2週間を経過して、ベッドの使用状況や健康状態などを確認するためです。
それと、近くのまだ導入できていない避難所にもベッドを勧める事にしました。
段ボール製簡易ベッドを導入した避難所では、明らかに咳の症状が減り、熟睡できるようになっていると聞きました。活動性も保たれ、寝たきりも予防できます。
反面、ベッドが無い避難所では血栓の陽性率も高く、時間と共に健康状態が悪化する可能性が高いので心配です。
その後は、南三陸町にも入り、ベッドの使用状況を見て回りました。
北上盆地
最後は盛岡市民病院で開催される院内のセミナーで榛沢医師が講師を務めます。
医師や看護師など医療関係者に向けた講演で、テーマは「東日本大震災における、下肢静脈エコー検査の重要性」でした。
医療関係者の間でも、避難所における血栓のリスクやその検査方法、対処方法などを周知する必要があるようで、過去の研究内容を詳しくお話しされていました。
もちろん、血栓の予防には簡易ベッドが不可欠だという事も盛り込まれています。
これでようやく今回のミッションは終わり。
私は、心地良い疲労と、ますますベッドの活動も大変になるだろうなあ、と言う不安とが入り混じった気持ちで、岩手県花巻空港から大阪に向けて飛び立ちました。
北上盆地の景色
離陸後機体は順調に上昇し、窓の外に見える北上盆地は、早くも田植えの始まった水田に、眩しく夕日が映って輝いていました。
ああ、ここはまぎれもなく豊葦原瑞穂の国。
東北の大地は津波や放射能によって穢れてしまったが、いつか必ず清らかな大地に蘇る、と信じたい気持になりました。
続く