福島県の避難所
第16回では、5月20日に福島市のあづま体育館を訪れ、県職員の木村さんに全員分600床を提供する約束をしたと記しました。
6月3日、まずは今回生産を担当してくれる業界最大手レンゴーの福島工場を西川常務と表敬訪問。
幹部の方に、段ボール製簡易ベッドの必要性をひと通り説明をして、快く協力してくれた事に対して感謝の意を伝えました。
最新鋭のレンゴー福島矢吹工場の玄関前で
福島工場を後にした私達は、県下最大の避難所、郡山市のビッグパレットに段ボール製簡易ベッドを導入出来るかどうかの調査に向かいました。
ビッグパレットは県の多目的ホールで、震災直後は最大で2,500人、私が訪れた6月3日でも約1,000人もの人が避難生活をしていたのです。
主に富岡町と川内村の住人が、放射能から逃れて自治体ごと引越していました。
建物内部の生活スペースは、建築家の坂茂氏の設計で、紙管とカーテンのような布の間仕切りが施されていていました。
寝台特急の車内を思わせる間仕切りされたスペース
これならある程度のプライバシーは守られ、少しは落ち着いた生活を送れるかもしれません。
ここにベッドを置いたらより良いかな!
ただスペースが狭いのと、間仕切りが組み上がった後に、途中から押し込むのは困難だと言う事で、導入は断念。
完成し始めた仮設住宅への導入を目指す事になりました。
その日は福島市内で宿泊です。
ゆっくり休んでいると、夜中に震度5の地震!((((((ノ゚⊿゚)ノ
怖いですね。夜中の地震は!
東北の皆さんは、どうする事も出来ない地震に耐えて暮らしていると思うと、本当に気の毒です。
まだまだ地震活動が活発なのだと言う事を思い知らされました。
一人の産業従事者として
明けて、6月4日。いよいよあづま体育館に600人分のベッドを搬入する日です。私達は朝9時には現地に入りして準備をしました。
一部を担当したセッツカートンつくば工場、宇都宮工場の幹部も駆けつけてくれましたが、彼らは私の前職の先輩で、こう言うかたちでの再会は嬉しいものです。
今回のプロジェクトに携わってくれた皆さん
レンゴーの吉村工場長も汗だくになって作業をしてくれた
前職の先輩でもあるセッツカートンの山田工場長
普段は同業でありライバルである会社同士が、被災者の為に手を携え、協働している姿はある種感慨深いものです。
そして、段ボールベッドを通じて沢山の方に直接感謝される。これは大手の社員の皆さんも、初めての経験なのではないでしょうか?
これは一人の産業従事者として誇りに思う瞬間でもありました。
生業としている段ボール。
またこの仕事を続けてこれたのも、従業員や取引先の皆さまのお陰です。
ですから、日ごろの感謝を込めて社会にお返しする。そんな想いもありました。
そしてさらに言うと、
今の自分があるのは、今まで自分を育ててくれた両親や家族、恩師や友人のお陰です。
そのお陰に対してまたとない恩返しのチャンスでもあるな、とも思ったのです。
今まであちらこちらに散々迷惑をかけてきた自分が、被災者の為に役立つ事に取り組む事ができた。
こんな嬉しい巡り合わせはありません。
このチャンスを活かさない訳にはいけない、という思いをより一層強くしたのでした。
景色が変わった
皆さんの協力のもと、600人分のベッドをトラックから降ろし終え、事前の打ち合わせ通り、各家族ごとに配る事にしました。
ベッド一人分の材料
今回は、人数も多く私達で組み立てるのは無理なので、家族単位で組み立て貰いました。
小さな子供でも、高齢者でも、クラフトテープだけで簡単に作れる段ボール製簡易ベッド。螺子や工具は一切要りません。
家族4人分のベッドで寝転ぶ赤ちゃんとお母さん
そして完成。
避難所の景色が変わりました。見比べて下さい。
あづま避難所も高齢者が多く、膝や腰が痛いと訴える方が多くいました。
また、写真のように幼い子供を抱えたお母さんもいて、雑魚寝の状態では子供が床の埃を吸って、咳込む事も多いのです。
しかし、これで随分生活環境が改善されました。
ストレスの軽減で、あらゆる病気の予防にも繋がっていく。
私達は、今までにない大きいスケールでの導入が実現して、ついにやり遂げたと言う気持ちで一杯になりました。
後日、地元の保健師さんに聞いたところによると、段ボール製簡易ベッドを導入するまでの3か月で高齢者の寝たきりが30人出ましたが、導入後はゼロだったそうです。
お役に立てて大変うれしく思いました。
続く