津波の被害と酷似
紀伊半島の南部に、深く険しい山間に流れる熊野川。その川の水面から15メートルほどの高さに国道168号線は走っています。
普段なら、新宮市役所から30分で着く庁舎に、ようやくたどり着きました。ここは、平成の大合併で新宮市に編入された、以前は熊野川町役場だったところです。
見上げると、この高さまで増水したのでしょう。その道路にある電柱に青いビーニールが引っ掛かっていました。平時の水面から約20メートル以上。
大量の雨が何日も続き、一気に川に流れ込み毎秒何万トンもの水が流れたのでした。
市の職員によると、約120年前の明治22年に発生し、250名以上の死者を出した十津川大洪水の記録を参考に、それより大きく上回る高さに国道168号線を建設したのですが、今回の水位はそれをも軽く越えてしまったそうです。
防災担当者としては非常に頭の痛い事だと思います。何せ軽く想定外だったわけですから。
庁舎が2階まで水没
水面から20メートルはある電線にビニールが
そして、その光景は、
”津波の傷痕に似ている”
私は、思わずそう呟きました。何回も東北の被災地に行き、そこで見た光景に酷似していたのでが、
”水の威力はとんでもない”
改めて、そう感じずには居られませんでした。
辺り一面が水没
避難所にサンタクロース
庁舎の3階には50名ほどの被災者がいて、畳を敷いた床に避難生活をしていました。もちろんベッドはありません。
一見、畳ならそんなに悪くないのでは?と思うのですが、寝ている真横をスリッパを履いた人が往来するので埃が舞い上がります。それを吸って呼吸器系を悪くしてしまうのです。
また、昼間は座る椅子もなく足腰の弱っている高齢者にはつらい状況です。
たとえば若い人でも飲み会などで、座敷より掘りごたつの方が楽ですよね。それと同じです。
ベッドは高齢者にとって段差があることで起き上りやすく、ADL(日常生活動作)が維持され、寝たきり化を防ぐ必需品なのです。
昼間も椅子替わりになり足腰が楽
そしてこの日、作業が終わりかけそろそろ帰ろうかなと思っていた時、思いがけず嬉しい事がありました。
それは、最後のベッドを組み立てている時に、私の後ろの方にある入り口で
”あっ!来ている!”
と、大きな声が聞こえたのです。私は、
なんだ~?
と振り返ると、若い兄弟がお風呂から帰ってきて、こちらを目を丸くして指差しているではないですか。
マジで~!すごーい!
この兄弟は被災した両親を見舞いに来ていたのですが、お風呂の帰り道、
”テレビで見た段ボールベッドの人、うちにも来ないかなあ!”
って二人でちょうど話しあっていたところだったらしいのです。
それで避難所に帰ってくると、どっかで見た人がなんか作業している。
あ~っ!\(◎o◎)/!
と言う事で、すごく喜んでくれて、思いがけない事に、こちらもすごく嬉しくて、まるでサンタクロースのような気分になりました。
そしてご両親も喜んでくれて本当に良かったです。
両親を見舞っている兄弟
天空の里 野迫川村
続いて10月16日。奈良県の野迫川村に向かいました。
野迫川村は人口約500人で、奈良県で一番少ない自治体であり、また標高が1,000メートル以上と高いため、冬は積雪が多く、夏は避暑に適している山間の村です。
また道路も狭く、雨も多いため災害が多く発生しやすい地域のようです。
野迫川村は台風12号による土砂崩れの被害もさることながら、天然ダムの決壊の恐れがでて、住民は長期の避難を強いられていました。
天然ダムとはあまり聞きなれないですが、地震や集中豪雨などの土砂崩れにより形成されるダムを指し、もし決壊すれば下流に大きな影響を及ぼす恐れがあります。
また規模が大きくなると、水路を完全に閉塞して湖沼を形成したり永続的なものであれば、堰止湖と呼ばれるそうです。
標高が高く険しい山間にある村
私は村役場に電話をして段ボール製簡易ベッドの提供を申し出ると、高齢者が多いので是非欲しいと言う事でしたので、避難者全員分の50床を提供する事にしました。
野迫川村は高野山の近くで、大阪からも2~3時間で行ける事から、東北にも一緒に行ってくれた佐々木君とその子供たち、そしてうちの子供も社会勉強も兼ねて同行しました。
野迫川村山村振興センターに到着すると、建物の中は和室が何部屋かあり民宿のような感じです。もちろん畳敷きでしたので、体育館のような、いかにも避難所というイメージではありません。
皆さん顔なじみですし、ちょっと近所の人みんなで合宿しているような雰囲気があり、悲壮感漂うような避難生活という感じではありませんでした。
さっそく、子供たちも手伝って50人分のベッドを運びます。各部屋に振り分けたら、組み立て開始。村の人も手伝ってくれて、みんなでワイワイと楽しく組み立てていました。
完成したらベッドを試してみる
ちなみに、この一週間前に福井大学医学部の山村医師が野迫川村に入り避難者22名を診断したところ、3名に下肢に血栓が見つかりました。約13.6%の発症率ですので平時の発症率からすると約7倍に上るそうです。
また、畳敷きの部屋での生活とはいえ、やはり足腰の弱っている人はベッドを使う事で起き上りやすくなったと言う事でした。活動性を低下させないツールとしてベッドは有意だと言う事だと思います。
父の背中を
今回はワイワイと大勢で避難所に押しかけてしまい、皆さんに迷惑だったかなとも思いましたが、子供たちには良い経験になったと思います。
人は、一人では生きてゆけません。子供たちには、将来大きくなったら、思いやりがあって、困っている人がいたら進んで助けてあげるような強い人になってほしい。そんな願いを込めて、自分の背中を見せたかったのです。
以前にも書きましたが、親や家族の言葉が、今でも私の中に重く残っていて、私はいまだにそれにそって行動しようとします。
ですから、もしかしたら大人になったら覚えていないかもしれませんが、子供たちの見本となるように、行動することが本当に大事なことだと思っています。
続く